歯科医院と僕 2013/12/24(火)
お前まだサイト更新する気あったのかと聞かれれば曖昧に笑いつつ目を逸らすしかないのですが、先日虫歯の痛みに耐えかねまして近所の何ちゃらデンタルクリニックへ赴いたところ、お医者様曰く
「どうしてもっと早く来なかったの?」な具合だそうです。
どうしてもっと早く行かなかったのかについては、やはり曖昧な笑みを浮かべつつ目を逸らすことで「いちいち予約入れる歯医者のシステムがタルい」という本音を何とか隠しきったのですが、ひと息をつく暇もなく診察台に寝かされると、僕の歯茎に麻酔注射の針がぶち込まれたのでした。
「ちょっとチクっとしますよ」と言い訳がましく前置きしたお医者様でしたが、アレの何が「ちょっと」でどこが「チクっ」なのでしょうか。歯肉を突き破る針の異物感に腹の底が冷え、神経を直接刺激される痛みが歯を通じて全身に走ります。しかし何かの弾みで針が刺さったまま曲がってしまったら、と思うと身じろぎひとつ出来ません。
いま思い返せばたった数秒の出来事でしかないというのに、その時の僕は時間がどこまでもどこまでも引き伸ばされているかのように錯覚していました。
やっと針が引き抜かれると、全身の緊張が緩みます。精神を先に削られてしまいました。
けれども、山はこれで越えた筈だ、と僕は思ったのです。そりゃ歯をドリルで削られることだって不安じゃないと言えば嘘になりますが、針の痛みよりは遥かにマシでしょう。
気持ちが前向きになった僕の頭の左後方で、カチャカチャという音がしました。気になってそちらに目を向けると、いつの間にか側に立っていた助手らしき女性が、二本目の注射の用意を終えたところでした。
二本の注射をぶっ刺した程度では、麻酔の効果はすぐには出ないそうです。
安静にしているようにと言い残し、お医者様はその場を離れて他の患者さんを診に行きました。
その時点で僕の体力と精神力は限りなくゼロに近づいていましたから、釘を刺されなくても動く気にはなれません。診察台に力なく横たわり、ぼんやり周囲を眺めていると、僕の左足の靴下が
灰色で、右足の靴下は
藍色であることに気がつきます。別にそういうファッションではなくて、単純に穿き間違えただけなのですが、僕はそれをどうとも思えませんでした。恥ずかしさを感じるだけの人間的な尊厳すら磨耗し、麻痺してしまったのです。
何も考えず、ひたすらに時間が過ぎるのを待ちます。ただただ待ちます。ただただただ待ちます。
そうしていると、少しづつ麻酔が効いてくるのが分かりました。
普段から不摂生なのもあるのでしょうか? 上唇周辺の感覚がなくなると、次いで指の先がピリピリとし始め、あっと言う間に頭まで薬が回ります。
「何故局部麻酔でくらくらするのか」「量が多過ぎたのではないのか」「ひょっとしてここで死ぬのか」
不安がぐるぐると脳裏を巡り、僕が危機感に身を震わせていると、お医者様が助手を連れて再びやって来ます。二人は怯える患者を嘲うかのように、いよいよ虫歯をドリルで削るのだと宣言しました。僕はそれを黙って受け入れるしかありませんでした。
「唾液が跳ね返りますので、タオルお掛けしておきますね」
助手の女性はそう囁くと、僕の鼻から上をタオルで覆います。まるでちょっとした気遣いでやっているかのような口ぶりですが、僕の視界を制限し恐怖を倍増させることが目的に違いありません。
彼女の目論見は大成功と言えるでしょう。いつドリルが襲い掛かってくるのかも分からず、事前に覚悟を決める機会すら奪われてしまいました。
「痛かったら言ってくださいねー」用意された台詞を暗唱するようにお医者様は言います。
本来なら痛みを主張するも無視されるところまでがテンプレなのは僕だって分かっています。しかし考えてもみてください。口の中にドリルを突っ込まれている人間が、僅かでも声を出すのはどれだけリスキーか? ただでさえ麻酔で自由が利かないのです。へろへろと動かした舌はドリルに削られそのままショック死&出血死直行でしょう。
更に言えば手を上げるなんてのはもっての他で、不用意に動かした腕が何かにぶつかった結果、ピタゴラスイッチ的な連鎖反応が作用しお医者様のドリルを持つ手が数センチずれるようなことになれば、その瞬間歯茎は爆発四散するのです。
だから僕は、口角だけで曖昧に笑いました。
けれども、ぎゅっと閉じた瞼の裏の暗闇から目を逸らすことは出来ません。
「はい口開けてくださーい」
お医者様がそう死刑宣告すると、ドリルの回転音が、タオルの向こうから僕の口へと這入りこんできたのでした。
ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりと歯が削られていく感触は、回転音や振動が湧き起こす不安と混ざり合い、暴風雨のごとく僕の精神を揺らします。幸いにも痛みはありませんが、しかし恐怖感は膨れ上がりました。
だいたい僕がじっとしているからって安心なんかできません。お医者様の手元がちょっとでも狂ってしまったら? 助手が些細なミスをしてしまったら? 地震が起きてしまったら? 酔っ払いの運転する車がハンドルを切り間違えて建物に突っ込んできてしまったら?
ありえないことなんてありえないのです。自分自身すら当てにできないこの世の中で、一体誰を、何を信頼することが出来るというのでしょうか?
僕の精神が偏執的に湧き上がるマイナスの感情に押しつぶされそうになった、その時です。
荒れ果てた心の中に、“弘法大師”の諡号で知られる真言宗の開祖
空海の言葉が、ふと浮かんできたのでした。
「三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」
「三界」とは煩悩や物質的存在に縛られた人間が、輪廻に囚われ彷徨い続ける世界の総称。
「四生」とは仏教的世界観における生物の分類方法で、ここでは“生きとし生けるもの”の意。
輪廻という終わりなき苦しみを繰り返す人々は、それがいかに狂えることなのか知らず、真実が何ひとつ見えていないことを認識すら出来ない。
何度も生死を流転しているというのに、自分がどこから生まれ来たのかも、どこへ死に行くのかも、真実から目を逸らして知ろうとしない。
すべては仏法によって示されているというのに、いつにまでそれを知らずにいるのか。
何故真理を知ろうとせず、いつまでも苦しみ続けるのか……
空海の嘆きを反芻した僕は、そこでやっと、本当にやっと、気がついたのです。死の暗闇がどれだけ恐ろしくとも、絶対に目を逸らしてはいけないのだと。
恐ろしいものから目を逸らし蓋をすることは、真理に至る道を知らず、無知を無知のまま残すことと同じです。苦しみや恐怖は無知から産まれるのですから、つまり逆説的に言えばすべての暗闇を見、感じ、理解したならば、もはやそこに恐怖も苦しみも存在しません。
真理に至るためには、すべてを理解し、受け入れなければならないのです――
そう悟った瞬間、僕の脳内宇宙でニューロンが弾けると、火花は見る見る内に神経を伝達して燃え広がり、ビッグバンのごとき巨大なエネルギーの塊になりました。
爆発的に膨れ上がり、燃え上がり、押し上げられる僕の魂は、ついに死の恐怖を乗り越え、ひとつ上のステージにアセンションしたのでした。
脳内宇宙は圧倒的な広がりを見せ、そのすべてと繋がっている実感が心を満たしました。
恐怖から解放された魂は、手にした自由を噛み締めるかのように拡散し、輝いて渦を捲きます。
集合と離散を繰り返す渦の中から、僕の魂の未熟な部分、恐怖に怯え震えていた、愚かで馬鹿な部分が集まると、ひとつの塊にになりました。
馬鹿は恐る恐ると言った様子で僕の膝元へと近づき、大樹を目の前にした小動物のように僕を見上げます。
曖昧な笑みなど必要ありません。僕は心からの慈愛を込めた笑顔を向けると、馬鹿の目を見つめ返しました。もはや通じ合うことに言葉など要らず、ゆっくり頷いた馬鹿は天高く飛翔し、光を放って
灰色の馬と
紺色の鹿に分離するのでした。
馬は嘶き、西へと走り去っていきました。そして
鹿は東へ悠々と歩いて行きます。
僕は少し考えて、
鹿について行くことを決めました。
しかし、どれほど歩こうと、思うように
鹿に追いつくことは出来ませんでした。手を伸ばせば届きそうなほど近くにいるというのにです。
鹿があまりにも巨大であるから距離を錯覚していたのだ、と僕がやっと気づいたのは、山よりも高い
鹿の蹄に触れてからのことでした。
世界各地の創造神話には「巨大な生物の死体」というモチーフが頻出します。例を挙げるなら北欧神話において大地も海も山脈も、原初の巨人ユミルの肉や血や骨から造られたものだとされていて、インド神話にも巨大な原人プルシャが生贄となり、その死体が天や地になったという記述があるのです。中国神話における創造神盤古は天地開闢の役割と同時に、前述した巨人たちのような生贄的役割も併せ持っていて、その世界観は日本神話にも無視できない影響を与えています。
そしてこの巨大な鹿も、いずれ世界そのものになるのかもしれません。
「こっちを向いてくれ!」
僕は遥か高みにある
鹿の頭部に向かって叫びます。こちらからはよく見えませんが、向こう側からの視線をはっきりと感じました。
するとどうでしょう。豆粒のような何かが空に現れたと思うと、それはみるみる内に大きなって、
鹿の巨大な鼻先だったことが分かりました。
体温を感じるほどの距離まで近づいた
鹿は、大きく口を開けると舌で僕を掬い取り、そのまま口腔の奥へ、奥へと運びます。
当然、怖いとは思いませんでした。僕は
鹿と心が通じ合っているのですから。
舌による運搬が終わったとき、僕が立っていたのは
鹿の喉でした。数メートル先で柔らかな口腔が突然途切れ、底の見えない断崖絶壁のようになっています。恐らくこの絶壁は食道で、暗闇の先は胃に繋がっている筈です。
“真理はこの暗闇の先にある”
鹿がそう伝えようとしているのが心で理解できました。僕は一瞬の躊躇もなく絶壁の側にしゃがむと、淵に手をかけ、そっと胃の中を覗き込んだのでした。
暗闇の中に、ぽつぽつと“光”が輝いています。
よく目を凝らすと、“光”は小さな光が集まって出来たものだと分かりました。
意識を集中し、小さな光を観察すると、数え切れない光源の中にぽつんと浮く、チリのような蒼い球に気がつきます。蒼の中には流動的な白と、固定的な緑が混ざってるようです。
特に大きな緑の塊の、その東側にある細長い緑。その中でも一番北にある、ひし形に似た塊に僕の視線は移りました。
ひし形に注視すると、何かが密集して灰色に見える部分がいくつかあるのが分かります。意識は灰色密集地域の中のひとつに向かうと、その南側の南側、大きな交差点の南西に位置する真新しい建物に辿り着きました。
建物の中には、三人の人間がいます。
一人目は男性。
グリーンの薄い布地で出来た服を着込み、口にはマスクを着用しています。
二人目は女性。黒い服に
ピンクのエプロンをつけていて、こちらもマクスで口を隠していました。
三人目は若い男性で、どこかで見た覚えがあるパーカーと、安っぽいジーンズを穿き、台の上に力なく横になっています。だらんと投げ出された彼の足を見て、僕は言葉を失いました。
彼の左側の靴下は
灰色、そして右側の靴下は、
藍色でした。
そう、胃の中にいたのは、僕だったのです。
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顔からタオルが取り払われ、治療が大方終わったことを告げられたとき、僕の真上にはまっさらな天井があるだけでした。
待合室に戻ると、すぐに名前が呼ばれます。どうも僕が最後の客だったようです。
料金を支払い、診察券を受け取って、次の診察は年明けになることを告げられた僕は、しかしそれを上の空で聞いていました。
歯科医院の自動ドアから道路に出ると、空はすっかり暗くなり、ちらちらと雪が降っています。
交差点を北へ歩きながら、僕は鹿のことを考えました。
僕の脳内宇宙の中に鹿がいて、鹿の中に僕がいる。鹿の中の僕も僕であるからには脳内に宇宙が広がっている筈で、だから鹿の中の僕の中にも鹿はいるのでしょう。平行世界は無限小の果てにまで続き、そして――
僕は夜空を見上げました。
この宇宙の外側とは、即ち鹿の胃袋の外側である。そんな確信を感じたのです。
鹿が僕の中にいるのか? 僕が鹿の中にいるのか? ひょっとすると、僕と鹿の関係はもっと複雑で、言葉で言い表せるようなものではないのかもしれません。
それでも、お互いに心が通じ合っていたことだけは紛れもなく真実であり、恐らくは二度と会えないであろう鹿のことを想うと、僕の頬を何か熱いものが伝うのでした。
しか い in to 僕
≪完≫